よしきよ君の物見遊山録など

一人旅と歴史が大好きな独身貴族の旅行記録です 。お得な旅の情報、趣味の投資についても書きたいですね。

【すぽんさーりんく】
(≧▽≦)ノ

海軍要塞跡を探検、感慨にふける(T_T)

今治市内から無事?「小島(おしま)」についた「よしきよ」、上陸後すぐに大砲レプリカに心を奪われ写真タイム・・・いけないイケナイ時間がないんだった。

 さて、まずは今治地方観光協会のHPよりこの要塞跡の説明文引用から

明治中期の日清戦争(1894-1895年)の後、ロシアの東亜侵略の野望が着々と具体化していくことにおののいていた大日本帝国は、ロシアとの戦争は不回避と判断し、ロシアの海軍の進攻に備えて瀬戸内海に要塞建設を計画しました。陸軍の上原勇作は芸予諸島を調査、その後大久野島(広島県)と来島海峡の小島に要塞を建設します。
上原はフランスで構築を学んでおり、その調査に基づき、軍事施設配置計画が立てられ、明治32年(1899年)に建設が始まり翌年3月に完成したといわれています。
赤煉瓦と御影石を所々に用いたヨーロッパ式の建物は、「芸予要塞」と名づけられ海の守りについていましたが、東郷平八郎や秋山真之らの活躍によりロシア軍が日本に攻め入ることはなく、この要塞は軍縮小により役目を終え、大正15年に当時の波止浜町に払い下げられました。後に日露戦争(1904-1905年)では、旅順攻撃の時に、ここの28cmの榴弾砲が運ばれて使われたと言われています。

 それでは早速探検を開始、要塞の遺構は島のあちらこちらに点在しているため、スケジュール管理が重要になります。一ヶ所に留まりすぎると他が観れなくなってしまうので注意が必要!!

f:id:katsurao:20180709234412j:plain

桟橋のすぐ近くに案内板が、至れり尽くせりです

まずは観光案内マップで現在地を確認、地図を見て左下の探照灯跡には行かずに右上に向かうことに決定、何せ時間が読めないので効率第一、右上に向かい順番に遺構を見学しながら一番右上の砲台跡を目指す、その後、海岸沿いの道を使って桟橋に戻り、時間に余裕があったら左下の探照灯跡を見る。さぁ出発だぁ--

f:id:katsurao:20180709234727j:plain

火力発電所跡 赤レンガが美しい

f:id:katsurao:20180709234824j:plain

f:id:katsurao:20180709234749j:plain

弾薬庫の外観と内部

火力発電所跡や弾薬庫などの遺構を見ていきます、外観の煉瓦が思ったよりしっかりしていて驚きました、まあ海軍が作った要塞ですからね、塩害とかも考慮して頑丈に作られていたのでしょう、しかし中は基礎となる石だけ、木の床が張られていたのでしょうか、それとも可燃物を嫌って木は使わなかったのでしょうか?いろいろと考えつつ先に向かいます。

f:id:katsurao:20180710002334j:plain

島から見る瀬戸内海、ここを護った兵隊さんも同じ景色を見たのでしょう(橋は除く)

次は砲台跡を巡ります、この島より西には海軍の本拠地「呉」がありますが、万が一そこがロシア海軍に落とされる事にでもなったら関西地区が艦砲射撃にさらされてしまいます、この島が最後の砦として立ち塞がる事に成ったでのでしょうか。

f:id:katsurao:20180710003421j:plain

f:id:katsurao:20180710003501j:plain

f:id:katsurao:20180710003800j:plain

日露戦争に勝利した後はこの要塞の重要度は薄れていきました、国内の要塞が一度も使われなかったのは素晴らしいことですね、役目を終えた要塞の最後のお仕事は演習の的になることです。この要塞を目標にした爆撃演習で「航空機からの爆撃による要塞攻撃は効果が薄い」と判断されました。要塞としての役目を終え最後に「後の兵士のために貴重な情報」を残してくれたのですね。

f:id:katsurao:20180710004129j:plain

今日はこのあたりで

ブログランキング・にほんブログ村へ

【スポンサーリンク】
ヾ(≧▽≦)ノ